佃島のおこり
1582年(天正10年6月2日)明智光秀が本能寺に織田信長を襲った時、信長の盟友家康の一行はわずかな手勢で堺にいた。
光秀がほうっておくわけがないと察知した家康は急ぎ三河への脱出行動を開始した。三河とは逆の方向、大阪、兵庫の海辺へと急いだ。
神崎川にさしかかった時、船がなく困っていた一行に素早く手持船や漁船を集めてきたのが摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁民であった。
献身的な働きは家康にとって生涯忘れることのできないものとなり、それ以来、家康と佃村の漁民とのつながりが深くなった。